瓜食(は)めば 子ども思ほゆ。
栗食めば まして偲はゆ。
いづくより 来たりしものぞ。
まなかひに もとなかかりて 安寝しなさぬ。
銀(しろがね)も 金(くがね)も玉もなにせむに。
まされる宝 子にしかめやも。
瓜を食べると 子どもたちのことが思われる。
栗をたべると ましていとしく思われる。
どこから私のもとに来たものなのか。
目の前にむやみにちらついてやすらかに眠らせてくれない。
銀の 金も 宝石も何になろう。
どんなすばらしい宝もわが子にまさるものはない。
令和の語源になりました大伴旅人の梅花の宴にも同席していた山上憶良の作です。
今年のゴールデンウィークは新型コロナウィルス感染拡大防止緊急事態が発令され、帰省もオンライン帰省を推奨されることとなりました。
いつの時代でも、どんな形になっても、親が子を思う気持ちには変わりありません。
いくつになっても、自分が親になっても、誰かの子であることには変わりありません。
親を思う心、子を思う心。 皆誰かの子…。